2021.5.3

ジミンは母について考えた。母の顔はジミンに似ていただろう。子どもを身ごもったとき、母も怖かっただろうか。それでも愛してあげようと心に決めたのだろうか。そうして「ジミンのお母さん」(訳注:韓国では子を持つ親を、本人の名前ではなく〇〇[この名前]のお母さん、またはお父さんと呼ぶことが多い)という名前を手に入れた母。元の名前を失ってしまった母。世界のなかで紛失した母。だけどいっときは、誰よりも確かな自分だけの名前を持ってこの世界に存在していただろう「キム・ウナさん」。ジミンは今やっと、見たことのない彼女の過去を想像できた。
___キム・チョヨプ/ユン・ジヨン訳/カン・バンファ監修「館内紛失」『わたしたちが光の速さで進めないなら』

韓国のSFをはじめて読んだ(そもそも普段SFを読まない)。まず訳が読みやすくて感動してしまった。読む側の言語を母国語としない人間が訳すという発想が今まで自分になかったことにびっくり。それに、SFだと思って読んでいても「館内紛失」のような作品に出会うので、(書くのかわからない)卒論のために、とにかく韓国の文学と映画には触れておかなければなあと思う。『チャンシルさんには福が多いね』も『夏時間』も観ておけばよかった。

考えれば考えるほど、文学を通して理解できることなんて結局歴史としての韓国のジェンダーを学べばわかることなのかもしれないと感じてしまうので、そうではなくて、今その作品がその訳でその広告で日本に入ってくることの意味をしっかりと見出さないとならないなあとぼんやりと考えています。