2020.10.13

池澤夏樹が詩は耳で楽しむもの、耳できいてすぐにわからない熟語は使わないようにすると言っていて、確かに詩は耳から入るのと読むことでは感触が違うしもっと朗読会とかあるといいなと思いました。飽きたら読むのやめていい言ってもらえると気が楽になるね。池澤さん結構日本に対して悲観的で好きだった

 

この「生まれてこないほうが良かった」という問題設定のなかには、哲学的なパズル解きという面と、自分の人生の根本に突き刺さってくる、本当に切羽詰まった実存的な問題であるという面があります。

___森岡正博、戸谷洋志「生きることの意味を問う哲学」『現代思想

 

例えば、自分のことを「あまり幸せじゃない」と考える人なんてほとんどいない。それどころか、圧倒的に大多数の人が「結構幸せ」とか「とても幸せ」とか言っている。実際、他のほとんどの人や平均的な人よりも自分は幸せだと信じている人がほとんどなのだ。

___デイヴィッド・ベネター/小島和男・田村宜義訳「生まれてこないほうが良かった 存在してしまうことの害悪」

これを読んだときに、幸せだと信じる人はベネター読まないのでは? と立ち止まってしまったわたしは森岡・戸谷対談における後者で、あらためてベネターは前者なのだなあ。

大学の友だちにペシミストとか呼ばれているのでやっぱりシオラン読んだ方が楽しいかもしれないね。亀みたいな進捗で反出生学んでいる

 

 

先生が授業で「SNSはほら糖質みたいに中毒性が高くて」と言っていて、えーっ! 糖質ってSNSと同じくらい中毒性あるの? そりゃやめられない…となりました。糖質依存やめたーい!

 

今週、キム・ジヨンとはちどりを観る予定なんだけど精神&脳内のキャパが心配。今週は映画たくさん観る週になりそうです

 

つまり、西洋文学を翻訳することでしか存在をはかれない外国文学者とは、「他人の創造を翻訳し、解説するだけ」の「九官鳥」に過ぎないではないか、との問いである。たとえば、ヴァレリイを訳せば、あたかも「自分がヴァレリイと同じ一流の人間だという気分」になる。さらに、「カミュはこう言った。サルトルはこう言っている」と言いながら、まるで「自分もそれと同じ意見であるかのような物の言い方をする」。
この傾向は、西洋学問に依拠した分野では珍しいことではないが、外国文学者はヴァレリイでもカミュでもない。外国文学者の「頭脳はそんな一流の芸術家並みじゃない」。
それでいて、「自分が九官鳥である」哀しさを理解していない。

___眞嶋亜有『「肌色」の憂鬱 近代日本人の人種体験』