反出生

夜中でも頭で鳴っているのか本当に鳴いているのかわからないセミの声がして、それにどんなに暑くてもフロリダでの思い出は夏だったとは思えないので、だからセミの鳴き声が夏なんだなあと思った。セミ絶滅したら夏もなくなる?

 

髪を10cmくらい切ったら突然髪が生き返った感じがして、パーマとアメリカの硬水でいかに髪が傷んでいたか実感した。美容院に行くと8割方髪質を褒めてもらえるので自分の髪は割と好き。

植木南央ちゃんの写真を見せてこの色にしてくださいと言ったら割とそんな感じの色になって嬉しい。数日前に南央ちゃんが卒業してから一年経ったけれど地道にアパレルとかの活動をしていて、今自分がそういう選択肢の選びやすい時代を生きていること(そういう選択をしていく南央ちゃんを見れること?)に感謝したくなる、先駆者とか探したら誰になるの? ゆうこす?

 

 

彼の思想内容で私が評価したいのは、「われわれはいったいどのような理由で新たな人間の命をこの世に生み出していいと言えるのか」という問題が重要な問いとして出されていることです。(略)簡単に言うと、どうしてわれわれは子どもを生んでいいのだろうか、ということです。親が子どもを生むとき、子どもを一方的に作っているわけですが、それは生まれてくる子どもにしてみれば暴力です。

___森岡正博、戸谷洋志「生きることの意味を問う哲学」『現代思想

自分を救うために学ぶってこういうことだなというのを反出生主義に触れて初めて実感してる。まだちょっとしか読んでいないけれど、上に引用したのとかはすごく共感して、誰も生まれてきたいなんて思っていないのに生まれてきてしまうんだよな。このふたりの対談はどこを切り取っても面白くて、生まれてこなければよかったと思う人に自殺すれば? となる問題に対して、「自殺は遂行可能である一方で、生まれてこないというのは遂行不可能である」と言っていたり、やっぱり反出生というのは突き詰めると人類いなくなってしまうという問題に当たるのだけれど「人類が全体として絶滅するということの可能性は肯定的に確保しておくべき」と言っていたりする。確かに生きていて楽しいこともあるけれど別にその楽しいことのために生まれてきたわけではないし、苦しいことは避けたくて、生まれてこなければ楽しいことも苦しいことも経験しないでいられるのだよね。存在しなかったものを存在させておいて、結局存在させてきた人に存在させなければよかったと言われ続けていたりすると反出生は結構救いの学問だなと思う。

まだ反出生の一次文献みたいなのには触れていないのだけど、第一人者みたいな位置にいるベネターが書いた反駁を読んだら彼はこの学問を哲学パズル的な観点で論じる面が強くて、だから読んでいてもちろん楽しいのだけれど、先に引用した人たちと違って(私はこの人たち側だと思う)自分自身が反出生について刺さるので反出生について考えている人間ではないのだろうなと感じる。いかに快-不快の非対称性をもとに論理パズルを突き詰めるか、みたいな。だからベネター読みたいと思うけれど買うには安くないし、別に本気で反出生学びたいのではなくて自分を救うために触れているだけなので買うかずっと迷っている。ショーペンハウアーとかシオランがどういう風に論じているのかは全く知らない。

 

レポートで1000字書くには何時間もかかるのになあ、なむ。8月こそたくさん本読みたい