2020.7.27

朝井リョウの最新作除く直近三作品の違いがよくわからなくて、わからないなと思いながら読んでいた。違いがよくわからないからおもしろくないのかと思ったけど最近読んでいる松浦理英子の小説もどれ読んでも根本にあるものは同じだと感じるし、つまり通して書きたいテーマがあるとそうなるのだなと気がついて(当たり前のこと?)、朝井リョウの扱うテーマに興味がないのだということにも気がついた。でももしきらきらの朝井リョウが帰ってきてもたぶんわたしはもう朝井リョウを読まないのだと思う。

 

小説でジェンダー問題扱うときって問題に対して逆の形/別の形を提示するものだと思っていたけどそういうものばかり読んでいただけだったのかもしれない。そのままの形で提示することもできる? 懐疑的な気持ち。作者のそれに対する理解度とか考えてしまって、わかっていて書いているのか気がつかないまま書いてしまっているのか、後者だとしたら結構読む気を削がれる。そう言ったら「作者の存在が介入してしまうと読み方が変わってしまうね」と言われて、作者のバックグラウンドとかすごく見てしまう人間としてはそれっていけないことなのかしら…となった、別にそういうことを言いたいのではなかったのだろうけれど。

 

ぬいぐるみの癒し効果がすごい。ぬいぐるみ抱きながら授業が受けられる点においてはオンライン授業の優勝。でもぬいぐるみ抱きたいくらい精神やられているということなの

 

生きてゆく不安抱える君といる束の間われは安らぎ覚ゆ

___森水晶

 

語彙力とか言語化する力とかないことを痛感してじぶんのことがもっときらいになる