2021.4.27

現代に生きる私たちにとって、一つの謎があります。現在、何十億円、何百億円という高値で取引されているモネの作品が、なぜこんなにたくさん日本にあるのだろうか、という疑問です。

それは私たちの先人に先見の明があり、文化面のインフラを整備し、コレクションつくってくれたからです。近代化の進む二〇世紀初頭、例えば、国術館の松方幸次郎(一八六六〜一九五〇)が蒐集した松方コレクション、大原美術館の大原孫三郎(一八八〇〜一九四三)、「バロン薩摩」と呼ばれた薩摩治郎八(一九〇一〜七六)などの大コレクターは、ヨーロッパと日本を行き来していたトレンド・セッターに、「フランスにモネというすごい芸術家がいるのだけれども、会いに行ってみませんか」と誘われて、わざわざジヴェルニーまで足を運んでいます。モネに孫のように愛された黒木竹子(一八九五〜一九七九)(一〇七ページ参照)は松方幸次郎の姪であり、松方とモネが出会うきっかけをつくったそうです。松方コレクションのモネ作品は確認できる限り三〇点以上あったといいます。

購入価格は当時の価格で一〇〇万円くらい、それでも高くなっていたと思いますが、まだまだ購入できる金額でした。いま、どんなに中国やアラブの大富豪が、多額のお金を用意して、「モネの絵がほしい」と願っても、簡単には手に入れることができないでしょう。残念なことに、それは一〇〇年前に気づくことができなかったからです。私たちの先人は、それにいち早く気がついて、買っておいてくれたのです。「ありがとう!」といいたいです。
モネの作品に親しみを覚えるのは、私たちが日頃、モネの作品を見ることができる環境に恵まれ、慣れ親しんでいるからなのかもしれません。

___原田マハ「いま、改めてモネと出会う意味」『モネのあしあと』

それなのに今の日本(政府)は