2021.6.27

数日分の日記

 

いつまで経っても脱毛とか基礎化粧品とかの広告に嫌な気持ちにさせられる。来年からもしかしたらむりにでも扱わなきゃいけないものになるかもしれないと思うと、それだけはあまりにもストレスが多くてこわい。

 

美術の世界で女はずっと「見られる側」だったという話をする。それは深く考えすぎでは? と言われる。わたしの考えではなくて、そういう歴史があった(ある?)のだという事実で、去年散々話題になったことなのに、ジェンダーについて学びたいと集まってひとのなかでこのような話になってしまうことが、いやだと思ってしまう。

 

タヒさんがTwitterに自らの俳句を上げてからの一連の発言をみて、やはり詩をつくるひとの作品は形が変われど詩、という印象が強く、それは山尾悠子の短歌に対して思ったことと同じでした。山尾悠子の短歌は短歌というより幻想文学だった。俳句も短歌も、俳句たらしめるなにか短歌たらしめるなにかがあって、それは、ただ型にはめるだけではだめなのだろうなあとただ読むだけの立場でぼんやりと考えております。「短歌ください」に寄せられるものは57577に当てはめられたことばであるだけで、短歌ではないのではないかと思うことが、ある。詠みもしないくせに。お前だって型にはめるだけしかできないくせに。

 

富士日記(中)』の読書を数ヶ月ぶりに再開。

夜 ごはん、じゃがいも味噌汁(卵入り)、アスパラガス塩ゆで、トマト、さつまあげ大根おろし、わさび漬、いんげんバター炒め。

ごはんが硬いといって、主人は一膳だけでやめる。私には丁度いいのだけれど、歯が少ないのだから気の毒なことをした。

こういうことをいたってふつうに書くくせして、突然、

今日は焚火をしただけ。
一日中、外に出ないでハタを織っていた。明朝早く帰るので、八時ごろ車のエンジンの調子をみに行く。門に佇っていると、小さい小さい灯りと人影のように動くもの、こちらに向って近づいてくる。懐中電灯で照らしたら、いつのまにか散歩に出ていた主人だった。何故だろう。しばらく会わなかった人のように、なつかしかった。

こういうことも書くのでどきっとしてしまう。百合子さんはこわいおんなだと思う(いい意味でね)。

 

先日、ずっと気になっていた服のブランドで、たまたま欲しいと思っていたような服がわたしでも購入できるような価格になっていて、全部の色と全部のサイズを試着して、友人にも見てもらい、買う予定ではなかったのに勢いで買ってしまいました。この夏ショートパンツデビュー。