2022.12.27〜2022.12.30

12/27

お昼、誰かに声をかけられる前に本を持って会社を抜け出す。今年最後の出社日のランチ。会社の周りにそんなに好きなお店はないけれど、少しだけ気に入っているパスタのお店で本を読みながらパスタを食べる。わたしはパスタが大好きで、昼夜パスタを1週間続けられると思うくらい。

休み時間だけでも会社のひとと職場としごとから離れて好きなことをして、じぶんを取り戻した。会社のひとはみんな好きだししごともきらいではないけれど、息苦しくなることはある、評価されないことを受け入れたい、成果を残さないことをあきらめたい

 

12/29

あしたのために文庫本を一冊買おうとgururiさんへ。知っている本も知らない本も気になる本がたくさん並んでいた。ぜんぶ家に欲しい。文庫であることがいちばんの優先事項だったので、あれもこれも諦めて、文庫で気になったものを1冊。

正直新刊本はいまの生活には贅沢品だけれど、気に入ったお店で新刊本を買うのがいちばんお金が渡って欲しいところに渡るはずなので諦めたくない。かなり前にフォロワーさんが言っていた「宛先のある経済」という言葉をたまに思い出す、ブックオフとかどこにお金が回るのか想像つかないしわたしが買わなくたって痛くも痒くもないだろうけど、個人の書店はレジの向こうにいるひとの生活が…と考えてしまったりする。あてさき

 

12/29

CDJに行く。

 

indigo la Endが2番手なのが解せないけれど、いちおうできるだけ前で見れるように前のバンドから会場に入る。完全に出遅れていて、そのバンドが終わってから立ち見エリアにさえ入れていなかったことを知る(通路まで埋まってた。ハンブレッダーズ)。人の波に流されて前まで来たけど、ぜんぜん前から15〜20列目とかだった。幸い中くらいサイズのステージだったので肉眼で見えた。音楽なんて聴けたらいいはずなのにどうして演奏者と近い方に重きを置いてしまうんだろう、ステージの横にでっかいモニターもあって、後ろの方がむしろそのモニターはよく見えるのにどうして、と思いつつがんばって前に行こうとしてしまうのがわたしの性格なのだと思う。あと単純な前の方がよりノリの良い人、騒ぎたいひとが集まるので我を忘れて腕振り回せてたのしい。夜明けの街でとか、何回ライブで聴いてもうれしくなってしまう。実験前やってくれてありがとう。バンドルライト見えましたか。というかわたしはいつの間にこんなに快復したんだろう? 半年以上経って結局indigo la Endよりわたしの好きな音楽は見つからなかった

 

初めてクリープとユニゾンのライブを観た。クリープのライブ行ってるよって中学生のわたしに教えてあげたいし、中学生のときにクリープ教えてくれた同級生にありがとうって言いたい、よく2012年にクリープを見つけたよ(かく言うわたしは2012年はbacknumber聴いてた。えっへん。愛知のラジオでめっちゃ流れてたんよな、もう聴いてないけど)

 

クリープは観客みんなで「セックスしよう!」って叫ぶコールレスポンスあったけど下品な感じはしなかったな。下品なバンドマンってたくさんいるけど尾崎世界観のあからさまな歌詞が下品に感じないのは…ジム・ジャームッシュを観ているから? (ではない)(某バンドと違ってでかでかと渋谷の広告にしたりすることなく内輪で終わらせているからかもしれない、自らアクセスするひとだけが目にするかたち)

憂、燦々とかラブホテルとかど世代(?)なんだけどライブであまりやらないのかな。単独行けば聴けるんだろうか。いつか聴きたい

前日にざーっと聴いてたらApple Musicが クリープハイプの似ているアーティストにindigo la Endを入れててそうなの? と思ったけど、わからないでもない気がする。

 

UNISONはMCないって聞いてたけどほんとになくてびっくりした。indigoよりMCしないバンドってあるんだね? instant EGOISTで始まるの個人的にアツすぎた。そんなに曲知らないけどいちばん聴いてたころ、特に気に入って聴いていた曲だったのでとてもうれしかった。

斎藤宏介はきれいなお顔して真っ直ぐな目で冷静にギターを弾きながら歌うバンドの顔、沼なんだろうな〜と思いながら見た。わたしの依存対象ではなかったけれど、もし違う人生でまたバンドマンにハマるなら斎藤宏介という可能性もあるかもしれない。というか歌うま。ライブでもそんなに真っ直ぐな声なん。そして田淵は動きすぎでは? 下手側にいたのに気がついたら目の前を走ってた。おかしい。コードないのかな。もはやベースは体の一部なのかな。

ぶち上げて「UNISON SQUARE GARDEN でしたっバイバイ!」だけ言って出ていくの? 音楽勝負って感じでさいこう

 

ひとりのフェスなんてお酒入れてなんぼだと思って3杯飲んだけれど全然酔わなかった。フェスのお酒ってアルコール入ってないの? 夏フェスは友だちとカーッてビール飲むって決めてるんだ。早くビールおいしく飲めるようになりたい

 

12/30

っていう日記を書いた。

 

あのひとの抱えるミソジニーを受け入れることもいやなきもちになったのを忘れることもできないだろうけど、それ以上にindigo la Endの音楽から離れる方がむりなのかもしれないと思った。終演後にピアスを買った。わたしは夜風とハヤブサが好きだし心の実が好きだしラッパーの涙が好き、あの音に包まれて感動してしまって、(この時代にあの歌詞はいただけないけど)シベリアの女の子のビートのかわいさが好きだし夜明けの街でサヨナラをのために日々過ごしていたことがあったし抱きしめてよだけを聴き続けてようやく眠れた夜があった、春は溶けてがあったから前を向けたのは数ヶ月前のこと、夜漁りで落ち着いた毎日があり初めての野音でしゃぼんだまと聴いた見せかけのラブソングも忘れたことがないし結び様とともにある初めての野音の記憶もつらかった時期のビジョナリーライブの最後の曲としての記憶も炎とともに残っていて、さよならベルや雫に恋してやチューリップで泣いた日々がいくつもあり、夜の恋はを聴いてようやく落ち着けた夜があって、わたしはほんとうに、ほんとうに、このバンドの音楽が

夏にこんなこと書いてた。じぶんで読んで泣きそうになった

クイズノックのふくらPが、苦手な野菜を食べる企画で、「脳が味を感じないようにしている」というようなことを言っていた。にんげんの脳ってすごいなと思う、いやなこと興味がないことは簡単にシャットアウトできてしまうから。

どんなに大きな音でも照明が激しくても、興味がなければ目を閉じて休息の時間に使えることを身をもって知った。これと同じように、好きなものを好きでいるために都合の悪いことをわたしの頭はいろんなことをシャットアウトしているのかもしれない。よくないと思いつつ、でもそれでじぶんの本音に向き合わないからあれだけ苦しんだんじゃないかと許したい気持ちもある。じぶんのきもちに素直になれば良いのに、結局わたしはじぶんじしんが周りから見てどう思われているかが大切で、たったひとりでいるじぶんのことは存在する価値がないと思っているのかもしれない。わからない。結局じぶんの人生なんだから嫌われたらいいのに。くるしい