9月22日 / 国と文化を切り離さない

誕生日がきて、22歳になる。毎年9月が大好きで、それは誕生月だからとじぶんのことをいつもより甘やかせるからだし、誕生日にはたくさんのひとが祝ってくれるから。生きるのはしんどいと、いつも思っているけれど、誕生日が好きなのはやっぱりどこかでちゃんと生きていたいからなのだろうなと思います。祝ってくれたみなさん、ほんとうにありがとう

 

SUQQUの青いラメで瞼をかがやかせながら家に帰ったら小包が届いていて、だいすきな言葉で書かれた手紙と赤いモレスキンが入っていた。これでわたしも赤いモレスキンの女です。夢日記にしようかな。

yの字が重なったような本棚も送ってもらって、懸命に組み立てた。かわいい。部屋の整理をしなくちゃいけない。

 

『大人はわかってくれない』から始まるトリュフォーのドワネルシリーズを観終える。コメンタリーなどもあって、トリュフォージャン=ピエール・レオを育てたのだな、と思う。彼はどの作品に出てもいい意味でジャン=ピエール・レオという感じ、キャラの区別があまりない。どれもおんなじと感じるのは長年トリュフォーと作り上げたドワネルがレオになってしまったからなのではないでしょうか? レオ様といえばディカプリオだけれど、わたしが好きなレオは、ジャン=ピエールなのだよねえ

 

ナポリ物語シリーズをようやく読み始める。想像していたよりもずっと共感することが多い。ずっと近くにいたはずの友だちと抜きつ抜かれつしながら、お互いに必要とされようとする天邪鬼な感じがすごくすき。

 

10月はちょっとひとと会う予定が多くて、indigoの野音もあるし、情緒がいまから心配、恋人との初デートに勝る緊張をいまから感じる予定なんかもあって、情緒がいまから心配(大事なことなので2回)

 

indigo la Endが10月にまた新曲を出すその匂わせをずっとしていて、ついにきょう大きな告知があった。韓国のラッパーとコラボをするみたい。indigo la Endが初めて海外のアーティストとコラボをするアーティストが、韓国のアーティストであることにひどく励まされる。周りに韓国の文化に触れているひとが多いこともあって忘れていたけれど、まだ韓国のいう国やその文化にネガティヴなイメージを持っていたり、それをはっきりことばにしたりするひとがいて、仄暗いきもちになる。文化と国を切り離すこともできて、切り離すも切り離さないもそのひとの勝手だけれど、わたしは、川谷絵音が韓国のアーティストと共に音楽をつくる選択をしたことが、ただ文化の選択だけではないのではと一層彼を好きになってしまう。勝手な期待であるけれど、川谷絵音と個人的な交流を持つことなんてないのだから、わたしのなかでの川谷絵音はどんなことであれ結局こっちの勝手な想像で、だからそのことは置いておいて、今回の選択に意味が絶対にあるのですよね、そうですよね、と、考えたくなってしまう。

わたしはやっぱり少しのものに依存しすぎてしまって、indigo la Endと、恋人と、大好きな女の子(たち)がいなくなってしまったら、どうするのだろうか