同化、究極の所有

松浦理英子の『奇貨』に収録された「変態月」を読んで、上野千鶴子も言っていたけれどやっぱり殺人は究極の所有なのだよなあと思った。

 

ひとりのひとに対して愛情とか羨望とかそういう欲を持つと止まらなくなるとか、執着に変わるとかそういうのはわかりやすいのだけど、同化を望むというのもあるよね。これはどの年代にもあることで、好きな友だちとお揃いの文具を揃えるとか、同じアーティストを好きになってみるとかして同じ文化を享受して近づこうとしたり、そういうところから始まって、できる限り同じ道のりを辿ってその子自身に近づこうとすること、自分のパーソナリティをその子に近づけようとすること、多分もうここまでくるとその子と自分の交流とか関係はいらなくて、その子という人間が存在していればいいので、その子が自分のことを好きでも嫌いでもいいのだけど、まあたぶん後者の方が良くて、というか前者の場合こういうことにはならないとは思うのだけど、自分がその子になろうとすること。これもまた殺人と並んで究極の所有よなあ、と思ったのでありました。