ちょっと就活疲れてきた。思っていたより接触している会社の数は多かった

 

今日はいちにち窓を開けている 外の音と、家の中の空気まで春 柔らかい

 

『旅する練習』『むらさきのスカートの女』読んだけれどどちらも好みではなかった、読んだという事実だけが残った感覚。最近ストライクゾーンが狭くなってきたのは余裕のなさからくる感受性の鈍りな気がします

 

「これがいいのはね、実は喜んでいるんじゃないってこと。このポーズをすると、カワウが羽を乾かすみたいに、次への準備をしなきゃってのを思い出すわけ」

___乗代雄介『旅する練習』

話題になっていたソン・ウォンピョン『アーモンド』を読んだときにも思ったけれど、お涙頂戴のためだけに死を描くのは典型的なエンタメ小説という感じがして冷めてしまう。確かに大切なひとが死んでしまったという描写があるとわたしの胸はぎゅっと縮んで目の当たりが熱くなるけれど、感情の動きと、物語を読む上でのその描写に対する評価は別なわけで、作品で死を扱うのならばしっかりと意味を持たせて欲しいと思ってしまう、他の選択肢でもよかったのだからわざわざ死を選ばなくていい、でもそう言ってしまうと他の選択肢でもいいなかで死を選んだわけで、もし他の選択肢を選んだのであればこんなことは考えないのかもしれないと思うと筋が通らないというか、これは多分わたしが死ぬことを何度も考えてきたからで、きょう見かけた、死を考える人ほど生に執着しているということばは、そうなのだろうな、と、思ったり