手をのべて / 遺産なき母

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が / 河野裕子

わたしが初めてこの歌を読んだのは、大森静佳による河野裕子論で、その見事な歌の解読の仕方に助けられたこともありすごく印象に残っていた。河野裕子は最期、子どもと夫と共にいたようで、「あなたとあなた」は子どもと夫とを指すと読むのが通説だったよう。しかし大森静佳は、ひとつめの「あなた」は夫・永田和宏への呼びかけ、その呼びかけをしてあなたに触れようとする、触れたいのに、息が足りないという読みもあり、そちらのほうがしっくりくると記していた。

そのあと河野裕子の最後の歌集『蝉声』を手に取り、終わりに近づくにつれて歌が力強くなっていく、生きようという意志を感じるなかで最後に置かれていたのが、冒頭に載せた歌だった。この歌を残すまでのあいだ、どれだけ死と闘って苦しかったか、家族を残して死ぬことがどれだけ心残りだったか、どんなふうに死を受けれたか、どれだけ生き残ろうと食いしばったかを想像して、涙が止まらなかった。いつもいつも生きる意味のわからないままだったわたしが、初めてものを読んで生きていなきゃと思ったときだった。

 

早稲田松竹で『乳房よ永遠なれ』を観る。田中絹代監督作品ということ以外前情報なしで観に行ったのもちょっとあほやったなとは思うのだけれど、冒頭で原作に中城ふみ子の名前をみたときに、え? と動揺した。中城ふみ子の物語だった。ああいう歌会のいやなひととかいまでもいるんだろうなと思いながら、どれくらい中城ふみ子の人生に忠実だったのかわからないけれど、観ていた。病気がわかってから、病院を抜け出して歌った歌がどれも好き。じぶんがどんな状況にあっても、歌に落とし込もうとする時点で強さがあり、そんな強さがあるからこそ美しい歌が生まれるのだろうね。

中城ふみ子(劇中では下城ふみ子)が死に近づくにつれて、わたしの頭の中では「手をのべて」が浮かんでいた。中城ふみ子河野裕子も家族のなかでいちばん先に死ぬ立場なのが同じだった。中城ふみ子が子どもに残した歌をみたとき、自分の死を感傷になど使わず、死を知ったひとだけがわかる生きろというメッセージに、『蝉声』を読み終えたときと同じ感情を得た。わたしはこれから先、なんどもこの歌たちに生きるためのちからをもらうのだと思う

 

遺産なき母が唯一のものとして残しゆく死を子らは受けとれ / 中城ふみ子