なんでこう歌人は季節をことばに落とし込むのがうまいのだろうと思う、日本に四季があるというのは思っているより重要で貴重なことなのかもしれない

 

ZARAの服はかわいいけれど、例えば半袖なのにファーの生地ものとかたくさんあって、これはZARAのブランドの方向性ではなくアメリカのアパレルだからなのだと気がついた。留学先の寮の近くにあったアウトレットにあるお店で季節感がないと何度思ったことだろう わたしの暮らしていたフロリダは年中夏だったので基本半袖しか着る機会がなく、四季がないことは服の生地と季節のつながりというものも生まれないのだなということで、結局日本みたいに生地感が服の季節感に繋がる方が珍しいのかもしれないね

 

というメモを水曜日に書いていたのに投稿し忘れていた

 

季節の変化についていけなくて途方に暮れたとき(ほんとうに途方に暮れたという感じ。無気力なわけではないのになにをしたらいいかわからなくなる)、笹原玉子の歌に頼ってしまうみたいです

この春はそれこそこのあいだの水曜日がその日だった気がするのだけど、そのあとはすっかり季節に馴染んでしまったので、もう少しどうしようもなくて笹原玉子を読むという時間があってもよかったなあと思います

 

 

その踝から濡れてゆけ 一行の詩歌のために現し世はある / 笹原玉子