2023.6.26 - 2023.6.30

2023.6.26

土曜日にたまたま「なにかやっている(≒自称できる肩書がある)ひとたちの集まり」に行く機会があって、ざらついた気持ちになって、夜、吉祥寺から三鷹まで歩いて大好きな水中書店で本を買った。読みたい本がたくさんあるので、日曜日は、久しぶりにfuzkueに行った。柑橘フィズおいしかった。その勢いで乗り越えた月曜日。

 

2023.6.27

はじめて会社の先輩たちとアンオフィシャルな飲み会をした。珍しい餃子と金木犀のお酒を飲んだ。帰り道、先輩の話を聞きながら足元にメトロのマークを見つけて(メトロ通っていないはずの、ただの地面に、真っ白なメトロのマークが刷られていた)、「あ!」と指さしたら、「東京メトロ〜(にこにこ)」と返事してくれて、「そういうところが気が合うと思う」と言われて、まだこの会社にもわたしみたいなひといるんだな、と思った。やさしいひとほどやめてしまうと思っていると話したら、「鈍感さがあるよね、残り続けるひとには」と返されて、あ、このひともいつか辞めてしまうんだなと思った。

まだ週末のことが悔しくて(いろんな意味で)、いくつか短歌をメモに書き残した。

 

2023.6.28

久しぶりにOLみたいなワンピース着た。骨格に合わないけどパーソナルカラーにはめっちゃあってる気がした。すごく肌白く見えるワンピース。去年このワンピースを買って着たときに、赤い髪の毛との不和がすごく恥ずかしくなって染める決心をしたのでした。

 

2023.6.29

ゴダール観るために午後お休み取ったのにいざとなると本当に観たいのかな? みたいな気持ちになりふつうに家に帰ってきてしまった。文化的な体力がなくなってるのをひしひしと感じている、先にチケット買ある映画館じゃないと優柔不断なわたしが顔を出してきてよくないねえ

 

2023.6.30

6月終わりの日! 天使みたいな、ずっとわたしの近くで仕事を見てくださっていた先輩がやめてしまった。やさしいひとほどいなくなってしまう

2023.3.23 - 2023.3.24

2023.3.23

渋谷はきらい! できれば行かずに生きていけたらなと思っています。そんなわたしがどうしても仕方なく渋谷に行くのは、渋谷でindigo la EndかさとうもかかKan Sanoのライブがあるか、ユーロスペースヒューマントラストシネマ渋谷で観たい映画がやっているかのどちらかです。きょうはヒューマントラストシネマに用事があって渋谷に行きました。アケルマンやるので4月は何回か行くけれど、できるだけ少ない回数で済ませたいなあ

 

2023.3.24

寂しいときに、うまくいかないことが続くとどうしたらいいのかわからなくなりませんか? きょうはひとりなのに、試着したかった靴は勇気が出なくて試着できず、イリーカフェはさいごのひとつを前の前に並んでいたひとが買ってしまい、セブンイレブンには食べたかったいちごソースのミルク寒天も小さいスンドゥブスープもなくて、仕方なく家にあるもの食べた。ご飯は炊いてあって嬉しくなった。でもひとりで食べるご飯は別にそんなに美味しくなくて、それにいつも量を間違えてしまう。

 

二階堂奥歯は飛び降りで亡くなったみたいだけど、わたしはこわくて飛び降りはできない気がする。これまででいちばん想像した死に方は、湯船で手首を切るやつです。でも賃貸を事故物件にはしたくないので、たぶんわたしはじぶんの家を買うまでは死なない気がする

2023.3.17

いろんなことに心が折れそうな毎日。まいにちまいにち差別を目にしてぐるぐる考える。

 

月曜日になった瞬間から、金曜日が待ち遠しくて、ただただ時間が過ぎるのを待つだけの1週間を何度も繰り返している。低血圧のせいか朝も起きれず、帰れば生活のためにやらなければならないことがたくさんあって、快というものがない、わたしは、なんのために生きてるんだろ

 

 

以下3/5に書いていたこと。

 

 

ぬいしゃべデビューした。思っていたよりうつうつとした気持ちになった、多分結構麦戸とか七森みたいに考えてしまうから、七森が落ち込んでいるその苦しさとか悲しさがリアルすぎて、わたしがそう考えてしまう瞬間を思い出して、さらに苦しかった、全然リアル。苦しい。わたしももっと優しい未来に生まれてきたかった

ある芸能人の方がストーリーに載せた発言がトランス差別だとTwitterが荒れていて、わたし自身はそれを読んで確かにこれは差別なんじゃないかなと思ったけれど、そういう気持ちになることへの想像はできる、わたし自身男性の体をしたひとは日常的に怖いと思ってしまう、道ですれ違うだけで身構えてしまう、でも「だから身体的男性は"女性のスペース"に入ってはだめだと思う」ではたぶんぜんぜんことばが足りていなくて、しかも短絡的な気がしていて、問題は「わたしはたちは正直見た目でひとを判断することができない。だから、心も体も男性である人間が(ことばを選ばないと、たぶん多くの人が考えているのは)トランス女性のフリをして"女性のスペース"に入ってきたとき、判断がつかないため、危険を回避できない可能性がある」ということなんじゃないかと思う、でもだからどうしたらいいのかまでわたしはまだ考えられていない。このあいだ、「だれが個室に入って行くかが外から丸見えな公衆トイレ」をTwitterで見て、それはこの形なら犯罪を防げる確率が高くなるというトイレらしく、やっぱりそういう方法で模索するべきなんじゃないの、なんか、最初からだめって言って、可能性を考えないのは、じぶんが当事者じゃないからできてしまうことなんでないの。

 

 

シンプルに、SNSで議論なんてむりだとわたしは思っているし、ひとりの人間の間違いを多くの人間が「残念だ」とかいうように指摘する構図もすごくこわないなと思う。せっかくインスタのストーリーで、DMまで解放されているのだから、直接DMしたらいいのに(それでもたくさんのひとから指摘がきたら、正しさとか理解すべきこととかは置いておいて、心的な負担はすごく大きいと思う)、わざわざそれを別のSNSに持ち込んでしまったら、直接見たわけではないひとまで知ってしまって、"議論"に入ってきたりして、それって本人はどんどんしんどくなるよな、とか考えてしまい、やっぱそういうことしちゃう人間ってはやく滅亡すればいいのに、てか人間の快楽なんて人間のためにしかなくて、でも人間の悪い部分は人間と人間以外まで作用してるし、だから人間が当たり前のように子孫を残していくのもまじで怖いと思う、そういう意味でわたしは結構しっかり反出生主義な気がする。ベネター読んだのかなり前だし忘れたけど。わたしは何を読んでも大体忘れるからほんとだめ。ていうか久しぶりに美容院行ってトリートメントまでしてもらったらめっちゃ高くてしんどくなった、でも初めてのとこいって微妙な出来になるより全然良くて、でもなんかトリートメントって結局いいヘアケア使えばいい話だろうし、美容師さんも驚くくらいのツヤ髪を自分で作り出したい。心に川上未映子がいるんじゃないかと思えばなんか、平気な気がする、わたしはまたこうやって誰かに何かに依存してしまう

 

夢を見た、好きなアーティストの野外ライブを見に行く夢。わたしはいちばん前を陣取って、目の前にいた、猫みたいな瞳と目があって、あ、わたしは理想は理想でいて欲しいんだなって、夢の中で思った。ぜったいに交わっちゃいけないのにその時点で間違ってたんだって、目が覚めてから思った。

2023.2.27

すべてを許さないと言う気概でいると自分が疲れてしまう。でもそういうことを考えているとどうして生きてるんだっけ、私の好きなことって何なんだっけ、てなる。そんなふうになるくらいなら許さないって言う気持ちなんて投げ捨てて、好きなものだけ好きでいたらいいんじゃないかって、周りの世界なんて見ないままで好きなことだけ好きなものだけ好きでいたらいいんじゃないかって思う気がする。

だって私の人生って私が楽しいためにあるんじゃないの

もちろん生きている限り誰かに貢献したいとか何かを変えたいとかじぶんが苦しいだけじゃなくて周りも苦しいことだからみんなで一緒に変えたいとか考える事は大事なのかもしれないけれど、そういうことを考えすぎた結果自分が好きなものを素直に好きと言えなかったり、好きなものを好きにならなければよかったとか好きなものを嫌いになりたいとか離れたいとか考えなきゃいけないなら、もうじぶんのことだけ考えていたら良い気がしてきてしまう

 

自分だけじゃなくて周りのことをみんなのことを私たちのことを考えている人が周りにいるのは安心感もあるしそれこそいわゆるシスターフットみたいなものを感じることもあるけれど、でもそれを投げ捨てでも好きなものを好きだと言う気持ちに素直になったほうがいい気もしているし自分の好きなものを好きだと迷わずに何もためらわずにいる世界にだけ身を置いていたいと言う気持ちがすごく強いんじゃないかと、最近自分では思っている

 

 

しんどいなと思ったときのメモ。たぶん1週間前とかのやつ。ぜんぶiPhoneのマイクで聞き取らせて書き起こしてもらったらかなり正確ですごいなーと思った

 

武道館ぶりにライブ行ったけど席がダメすぎてスピーカーの音が片方しか聴こえてこないしそのスピーカーもわたしの方は向いてないし疎外感強めの席だったので、そんなたのしくなくて、3年前なら純粋に楽しめたのか3年前でもイマイチな気持ちになるのかとか考えてしまい、なんか、たぶんわたしはあんまひとと好きなコンテンツを共有しない方がいいんだろうなというのもあるし、だから本とか読む方が断然好きかもしれない。全てひとりで完結するし

 

髪早く伸びたらいいな、と同じ温度で、早く死にたいな、と思う。2月はやけにひとと会う予定が多くて、それだけで出費が多かったのに、なぜか本棚とデスクも買ってしまった、でも3月はぜんぜん予定ないから美容院くらい行きたいと思う、髪伸ばしたいけれどあまりに傷んでいる、し、ほんとはブリーチしたい。会社員やめたい、ていうか全てやめたい、はやくすべて終わらないかなと思う、すべてって、ほんとうにすべてが。

2023.2.14

 

2月。なぜかひとに会う予定が多い。スケジュールを見ると気が滅入ってしまう。どの予定か、来月にできないか…大人数なのでわたしが行かなくてもいいのでは…などと考えてしまう。親しくないからそう思ってしまうのではなくて、好きなひとたちへの手紙の返事も出せていなくて、なのでただの怠惰なのかもしれない。でもそんなことで友だちを失いたくなくて、でもそんなことで失ってしまうなら失ってしまえと思うじぶんもいやで、考えるのが面倒になり、はやく死にたくなる。でもそれって相手からしたら関係なくて、ただ失礼で、そういた外からみたじぶんを考えてでも恥ずかしいとも思えないのが笑えてきてしまう。笑えるじぶんはでも恥ずかしくて、また死にたくなる

 

人は多分、すでに動いている人間に興味を持つ。これが「取材に行って文章書いても、誰も注目してくれなかったら、そこにかけた費用はこれだけの損になるなあ」などマイナス思考で考え込んでいたら、運は開けないかもしれない。自分が気になること、やっておきたいこと、会っておきたい人、見ておきたい風景があるのであれば、即実行でよいのだと思う。それは損得を超えて、自分自身の知識や興味の幅を広げ、結果的に人の注目を引き、その熱伝われば、仕事の幅をも広げるかもしれないのだ。

___寺尾紗穂『天使日記』

だからわたしは、意味があるのかなと思うよりやりたいことをやり続けようと思う。書くことをやめないでいようと思う。ZINEを作ろうと思う。

 

エゴイスト観た。お金って本当にこわいと思った。

愛する相手だからなんでもすることができて、そのなんでものひとつがお金を渡す、ということだったんだろうけど、お金を渡されることで表現される愛って、受け取る側は、いつかその人自身ではなくお金ありきで認識してしまうのではないかとヒヤッとしてしまう。経験あるなと思う。お互いの気持ちをわからなくしてしまうし生活も気持ちも苦しくしてしまうので良くないんじゃないかと思ったりする、でもそれで振り回されたらその程度とも言えるのかもしれない。わかんない

 

映画のたらたらした感想はFilmarksに書きました↓

エゴイストのyukiの映画レビュー・感想・評価 | Filmarks映画

2022.2.7

青いお風呂に浸かっている。

 

きょうは好きだったおんなのこの誕生日らしい。おめでとうございます。たぶん恋愛と同じで実在するその子との交わりがなさすぎて、わたしのなかの理想として仕立て上げられてしまっていて、だからもうその子とも、いまのその子と繋がっているひととも交わらない方がいい気がしている。わたしの想像の産物になってしまった

 

言の葉のランタン提げてわたしたち西荻窪の窪みに集ふ / 石川美南

さいきんはよくfuzkueに行って本を読んでいる。たぶんシステムがすごくわたしに合っていて、お店が決めたお金を払うぶん、時間を忘れて居続けていいというのが気持ち的にすごくらく。そのうえ食べものも飲みものもおいしいし、いろんなお酒があって、読み応えたっぷりのメニューに説明書きまでついているので安心して頼めるのが、とても、いい。

 

コーヒー牛乳という、すごく濃く淹れたコーヒーと牛乳、ウォッカで作った飲みものがすごく好き。毎回頼んでいる

 

 

 

さみしいと判断力が鈍ってしまうな、べつに必要ないのに、帰り道にいちごのティラミスを買ってしまった。ケーキと同じくらいの値段のティラミス。うんと甘いやつ。寂しいので、コーヒーを淹れて本を読みながら食べる、ひとりで

 

マッチ箱に二人暮らしてゐた頃の炊事洗濯ちいさな花火 / 石川美南

ずっとふたりでいたらひとりで何もできなくなってしまうような気がして、江國香織の小説を思い出す。隣にいる絶望と行き止まり

2022.12.27〜2022.12.30

12/27

お昼、誰かに声をかけられる前に本を持って会社を抜け出す。今年最後の出社日のランチ。会社の周りにそんなに好きなお店はないけれど、少しだけ気に入っているパスタのお店で本を読みながらパスタを食べる。わたしはパスタが大好きで、昼夜パスタを1週間続けられると思うくらい。

休み時間だけでも会社のひとと職場としごとから離れて好きなことをして、じぶんを取り戻した。会社のひとはみんな好きだししごともきらいではないけれど、息苦しくなることはある、評価されないことを受け入れたい、成果を残さないことをあきらめたい

 

12/29

あしたのために文庫本を一冊買おうとgururiさんへ。知っている本も知らない本も気になる本がたくさん並んでいた。ぜんぶ家に欲しい。文庫であることがいちばんの優先事項だったので、あれもこれも諦めて、文庫で気になったものを1冊。

正直新刊本はいまの生活には贅沢品だけれど、気に入ったお店で新刊本を買うのがいちばんお金が渡って欲しいところに渡るはずなので諦めたくない。かなり前にフォロワーさんが言っていた「宛先のある経済」という言葉をたまに思い出す、ブックオフとかどこにお金が回るのか想像つかないしわたしが買わなくたって痛くも痒くもないだろうけど、個人の書店はレジの向こうにいるひとの生活が…と考えてしまったりする。あてさき

 

12/29

CDJに行く。

 

indigo la Endが2番手なのが解せないけれど、いちおうできるだけ前で見れるように前のバンドから会場に入る。完全に出遅れていて、そのバンドが終わってから立ち見エリアにさえ入れていなかったことを知る(通路まで埋まってた。ハンブレッダーズ)。人の波に流されて前まで来たけど、ぜんぜん前から15〜20列目とかだった。幸い中くらいサイズのステージだったので肉眼で見えた。音楽なんて聴けたらいいはずなのにどうして演奏者と近い方に重きを置いてしまうんだろう、ステージの横にでっかいモニターもあって、後ろの方がむしろそのモニターはよく見えるのにどうして、と思いつつがんばって前に行こうとしてしまうのがわたしの性格なのだと思う。あと単純な前の方がよりノリの良い人、騒ぎたいひとが集まるので我を忘れて腕振り回せてたのしい。夜明けの街でとか、何回ライブで聴いてもうれしくなってしまう。実験前やってくれてありがとう。バンドルライト見えましたか。というかわたしはいつの間にこんなに快復したんだろう? 半年以上経って結局indigo la Endよりわたしの好きな音楽は見つからなかった

 

初めてクリープとユニゾンのライブを観た。クリープのライブ行ってるよって中学生のわたしに教えてあげたいし、中学生のときにクリープ教えてくれた同級生にありがとうって言いたい、よく2012年にクリープを見つけたよ(かく言うわたしは2012年はbacknumber聴いてた。えっへん。愛知のラジオでめっちゃ流れてたんよな、もう聴いてないけど)

 

クリープは観客みんなで「セックスしよう!」って叫ぶコールレスポンスあったけど下品な感じはしなかったな。下品なバンドマンってたくさんいるけど尾崎世界観のあからさまな歌詞が下品に感じないのは…ジム・ジャームッシュを観ているから? (ではない)(某バンドと違ってでかでかと渋谷の広告にしたりすることなく内輪で終わらせているからかもしれない、自らアクセスするひとだけが目にするかたち)

憂、燦々とかラブホテルとかど世代(?)なんだけどライブであまりやらないのかな。単独行けば聴けるんだろうか。いつか聴きたい

前日にざーっと聴いてたらApple Musicが クリープハイプの似ているアーティストにindigo la Endを入れててそうなの? と思ったけど、わからないでもない気がする。

 

UNISONはMCないって聞いてたけどほんとになくてびっくりした。indigoよりMCしないバンドってあるんだね? instant EGOISTで始まるの個人的にアツすぎた。そんなに曲知らないけどいちばん聴いてたころ、特に気に入って聴いていた曲だったのでとてもうれしかった。

斎藤宏介はきれいなお顔して真っ直ぐな目で冷静にギターを弾きながら歌うバンドの顔、沼なんだろうな〜と思いながら見た。わたしの依存対象ではなかったけれど、もし違う人生でまたバンドマンにハマるなら斎藤宏介という可能性もあるかもしれない。というか歌うま。ライブでもそんなに真っ直ぐな声なん。そして田淵は動きすぎでは? 下手側にいたのに気がついたら目の前を走ってた。おかしい。コードないのかな。もはやベースは体の一部なのかな。

ぶち上げて「UNISON SQUARE GARDEN でしたっバイバイ!」だけ言って出ていくの? 音楽勝負って感じでさいこう

 

ひとりのフェスなんてお酒入れてなんぼだと思って3杯飲んだけれど全然酔わなかった。フェスのお酒ってアルコール入ってないの? 夏フェスは友だちとカーッてビール飲むって決めてるんだ。早くビールおいしく飲めるようになりたい

 

12/30

っていう日記を書いた。

 

あのひとの抱えるミソジニーを受け入れることもいやなきもちになったのを忘れることもできないだろうけど、それ以上にindigo la Endの音楽から離れる方がむりなのかもしれないと思った。終演後にピアスを買った。わたしは夜風とハヤブサが好きだし心の実が好きだしラッパーの涙が好き、あの音に包まれて感動してしまって、(この時代にあの歌詞はいただけないけど)シベリアの女の子のビートのかわいさが好きだし夜明けの街でサヨナラをのために日々過ごしていたことがあったし抱きしめてよだけを聴き続けてようやく眠れた夜があった、春は溶けてがあったから前を向けたのは数ヶ月前のこと、夜漁りで落ち着いた毎日があり初めての野音でしゃぼんだまと聴いた見せかけのラブソングも忘れたことがないし結び様とともにある初めての野音の記憶もつらかった時期のビジョナリーライブの最後の曲としての記憶も炎とともに残っていて、さよならベルや雫に恋してやチューリップで泣いた日々がいくつもあり、夜の恋はを聴いてようやく落ち着けた夜があって、わたしはほんとうに、ほんとうに、このバンドの音楽が

夏にこんなこと書いてた。じぶんで読んで泣きそうになった

クイズノックのふくらPが、苦手な野菜を食べる企画で、「脳が味を感じないようにしている」というようなことを言っていた。にんげんの脳ってすごいなと思う、いやなこと興味がないことは簡単にシャットアウトできてしまうから。

どんなに大きな音でも照明が激しくても、興味がなければ目を閉じて休息の時間に使えることを身をもって知った。これと同じように、好きなものを好きでいるために都合の悪いことをわたしの頭はいろんなことをシャットアウトしているのかもしれない。よくないと思いつつ、でもそれでじぶんの本音に向き合わないからあれだけ苦しんだんじゃないかと許したい気持ちもある。じぶんのきもちに素直になれば良いのに、結局わたしはじぶんじしんが周りから見てどう思われているかが大切で、たったひとりでいるじぶんのことは存在する価値がないと思っているのかもしれない。わからない。結局じぶんの人生なんだから嫌われたらいいのに。くるしい