2021.11.16

朝起きた瞬間から、都内に行くのが面倒くさい気持ちでいっぱいで、早稲田松竹ベルイマンを観に行くのを諦めてしまう。先週シネマカリテで『MORE』を観に行ったときの環境がトラウマになってしまった。時代に愛された女優特集みたいなもので上映される女優や映画は好きなものが多いので観に行きたいが、そういうのを観たいひとってその女優が本当に愛されていた時代の男性であることが多く、空間そのものが苦手なことが多いのがいつもジレンマ。カトリーヌ・スパークの二本立て観たときも、観る前からある程度の年齢層と性別のひとが多いことに違和感を感じていた。ときどき下品な笑いが起こることがあって、あーあ、という気持ちになって、閉鎖された環境の映画館という空間がマイナスに働いて、逃げたい!となった。カトリーヌ・スパークのときは恋人が隣にいたのでよかったけれど、『MORE』を観に行ったときはひとりで、オンラインで購入した席は人気の列だったらしく周りにひとがどんどん増えたため直前に席を変えて、そわそわしながら観ていたら隣のひとは妙に咳払いが多く、前のひとは時折前屈みになりビニールをガサゴソしているのが怖く(他人の嘔吐が苦手なので、電車などでもビニールを取り出すひとや咳の止まらないひとが近くにいると吐くかな、と身構えてしまう)、ひたすら薬のはなしなのも、ミムジー・ファーマーが殴られるのも面白くなく、2時間がすごく長く感じた。もうそろそろ終わりかな、から30分くらい映画があった。不安だったし孤独だった。とにかくその経験がトラウマになってしまい、映画館に行くのを躊躇う気持ちが生まれてしまったのでした。あと二本立て観る体力がない気がするのと、直前にチケットを買い席を取るタイプだとじぶんでじぶんに観に行くように強制できないので、すぐに行くのを諦めてしまう。

 

代わりにたくさん本を買ったので、本を読むことにする。有隣堂(身近すぎてローカルのチェーン書店ということを定期的に忘れる)に竹書房文庫のコーナーがあることに初めて気がつき、何冊か読みたい本ができた。スタイリッシュな装幀と変なあらすじに惹かれて『オルガスマシン』を買い読んでいる。第一章を読み終えての感想は、フェティシズムを描いているとしたら少しパンチが足りないなという感じ。破壊のところに期待しているので、読み進める。

 

また集団の中で余計な自我を出してしまう、ということをしてしまって、自己嫌悪になる。友だちがすごくいいことばで助け舟を出してくれていたのに、それをも台無しにしてしまうような言葉選びをしてしまって、どうしてこんなに協調生がないんだろう、でも、この時期のゼミで、1時間を日程調整など学問に関係ない話に費やす必要って、あったのだろうか。わたしもみんなともっと一緒に過ごす時間があったらいいなとは思う、雰囲気を壊したかったわけではないのに、どうして、あんな言い方をしてしまったのだろう。

 

この1年を通して、いろいろなことに神経質になっていて、つまらないことで心がささくれ立つじぶんがほんとうにいやだし、そんな自分自身がいちばんつまらないと思ってしまう。