2021.11.12(盗み)

幼い頃から盗み癖があった。ものというより、かたちのないもの。例えば表現を盗むとか技を盗むとか言うように、いろいろ盗んできたとさいきんよく思う。ひとの好きなアーティストや作品をじぶんも好きになることはずっと強く盗むことだと感じていたし、友だちの好意のある相手に関すること、ことばひとつで身を引かせるようなことをしたり、時間が経過した結果そのひととわたしの巡り合わせがよくなったりして、そういうのも、過程や結果で盗みを行なっているようなものなのかもしれないとずっと思っていて、だから、盗むことで好きを確立してきたわたしは、自発的に好きになったものなんてないのではないかと、ずっとじぶんをつまらなく思っていた。

バルト「作者の死」や、クリステヴァのインターテクスチュアリティを学ぶと、じぶんを見失うひとが多いらしい。たしかにインターテクスチュアリティは、頭のなかにあることばは過去や同時代のなにかから必ず影響を受けていると考えるような概念で、すると、じぶんの脳内は他人の思考でできているのだというような感覚に陥いる。だけど、好きなものを盗み続けてきたと思っているわたしにとって、すべてのひとはなんらかのものから影響を受けているのだとするその考えにわたしは、みんな結局盗みをしているのだと、むしろ、わたしのしてきたことは盗みなどではなく、みんなしていることだったのだと、どこか、安心を得たような気持ちになったのでした。

文学部に入って、言語など学んでどうするのだと働くときに役に立たないだろうと言われて、第一志望以外は国際系を多く受け、結局いまの学部にいるわけで、もちろん学部での経験なくしていまのわたしはないのだけれど、もし、思想哲学を構造分析をもっと専門として学ぶことができたら、書くしごとにはいまの学部の学びよりずっと役に立ったのかもしれないと感じているし、文学部にはいることが就職に役に立たないなど、そんなことはなかったじゃないかと思う。第一志望に受かるほどの勉強をできなかったのはわたしなのだけれど。