2021.1.20

これはもう何度も書いていることだけれど、どうしてじぶんの好きなものがなにかわからず周りに影響されてばかりなのかわからなくて、これはほんとうにじぶんから好きになるものがないからなのか、好きなものはあるのだけれど周りが評価しないのでそんなものを好きでいる必要はないのではないかと純粋に思い好きであることをやめてしまうのか、わからないでいる。なにが好きかと訊かれて頭に浮かぶものはだいたいひとから教わったもので、どうしてそれではいけないと思ってしまうのかわからないのだけど、例えばback numberとか朝井リョウとか、じぶんで見つけて好きになったものは最後には飽きてしまうし、つまらないものを好きだったのではないかという気持ちになってしまう

 

今自信をもって好きだと言えるのはindigo la Endだけで、「夜風とハヤブサ」がリリースされたとき川谷絵音がファンクラブのブログで「新鮮なアプローチ」と言っていたのに対してでもわたしとしてはとてもindigo la Endらしい曲だと感じた気持ちをそれでいいのだと思えることにじぶんで驚いてしまって、その感受性を大切にしたいと思ったこと。半年前のはなし

 

好きなものが何か分からないわたしにとって就活はいい機会なのかもしれないなと思っている、内定がひとつ出たらSUQQUのリップと新作アイシャドウを買うのだ

 

 

はてなブログの前は少しだけnoteで同じようなことをしていたのだけど、noteには有料記事の制度があって商業的な感じがするのと、だからかわからないけれどなにか有益なことを書かなければいけない気がして、それに比べてはてなブログは小学生のときによく使っていた匿名の掲示板のような少し前のインターネットの雰囲気が残っているのが気に入った(あれ、なんていう名前の掲示板だったっけ。すっかり忘れてしまった)

自分で書いた文章をなかなかいいじゃないと最後に思ったのは中学生のときな気がする、小学生のときに登録して中学生のあいだそこそこ真剣に投稿していたなろうのほうが、最終更新は数年前なのにも関わらず、現在進行形で更新しているこのブログより未だにPV数が多いのは解せない(なろうのユーザーの傾向とかわたしの書いたものが検索されやすいものであるとかは関係していると思う)けれど、あのときはあのときのできるだけの力を尽くして書いていたのだから、怠惰にただことばを連ねているだけのいまより読んでいるひとに愉しいと思わせるちがうのだと言われたらそうだよなと納得してしまいます