2022.11.4

社会人になって、何も考えられなくなってしまったし、考えることを放棄してしまっている気がしている。現に、ブログの更新頻度が落ちていて、読書ノートも全然書いていない。

 

周りからどう思われるかを気にしすぎている気がする。とはいえ、どう思われてもいいと割り切るのもなんだか違う気がする。塩梅が難しい。好きなものは周りの目なんて気にせず好きであればいい。でも苦しいときにいろんなひとに頼ってしまった。けっきょくどこかに寄りかからないと気持ちが安定しないのがだめなのだろうか。

 

中学の友だちと武道館のライブに行く。わたしより楽しんでいたのではないかというくらい楽しかったと何度も伝えてくれて、これからのライブも都合が合えば一緒に行けるような温度感。おなじひとと短期間に何度も会う約束ができるのはうれしい、その方が落ち着くから。家に帰ると落ちつくのと同じ。100人の友達よりひとりのともだちが欲しい。

 

1年前に神保町の、古書店に紛れて存在する新刊を売る詩歌に強いお店で、多和田葉子の『傘の死体とわたしの妻』を見かけた。欲しかったけれど、その日はずっと憧れ続けているひとと数年ぶりにあった日で、なんだかそのひとといるときに買うにしては平凡な本だと思って見送ってしまった。先週神保町でたくさん本を買った日、突然思い出して、ないだろうけどもしあったらいまなら勢いで帰る気がする、と思って見に行ったら残っていた。買った。前回買えなかった話を恋人にしたら笑ってくれた。こうやってブログを書いていたらわたしはその子になれる気がする

 

ライブの帰りに勢いでグッズのピアスを買ったことを後悔はしていないけれど、やはりもう以前のようには熱中できない気がしている。なんだって、こんなふつうに少しずつ好きなものから離れていくのだと思う

7月末のブログにこんなことを書いていた。やっぱりそうなのかもしれない

 

でも花のようなベイビーガールになるにはどうしたらいいのかずっと考えている