はしはし

フェミニストと呼ばれるひとたちにはその問題に対して強く出てしまう印象があることがフェミニズムにネガティヴなイメージを持つ人の多い原因になっていると思うこともあるけれど、それくらいの強靭さがないとそういう立場ではいられないと思う 力を加えられ続けるところにいるのだから

 

ところでわたしずっとバトラー読んで少しでもフェミニズムについての知識が得られたらと思っていた、思いつつ、バトラーの著作はタイトルを見るだけで徐々にジェンダーではなくアイデンティティの方向に舵を取っているんじゃないかという感じがしていて、青土社のサラ・サリー著/竹村和子訳『ジュディス・バトラー』読んでいる限りやっぱり彼女はフェミニズムというよりアイデンティティについて語っている気がして、わたしがタイトルに飛び付いただけと言われればそうなのかもしれないけれど、でもやはりフェミニズム関連の書籍でよく『ジェンダー・トラブル』が挙げられるのは、なぜ もっと周辺を読めばわかることなのかもしれないのだけれど

 

映画『イカとクジラ』を観た。Filmarksで感想を見ていて覚えた違和感は、たぶん、「親の行動が子に悪影響を与える」という考えが散見されたこと(監督の自叙的な映画らしいのでそう観るのが正解なのかもしれない わからない)日本社会に顕著なものかつわたしが避けたいもの 親と子は結局他人なのに特別な関係を見出してしまうのはほんとうにこわいし、やっぱり子どもを持つというのはじぶんには到底無理だと思える ただでさえ人との距離感を掴むのが苦手なのに、子どもって、どう距離を掴むのですか どういう存在なのですか 自分の影響があまりに大きい他人を相手にするの、こわいよね、こわいよね でもいちばんこわいのはわたし自身が親からの影響に特別なものを見出して自分を誤魔化そうとしている 矛盾が、こわい

 

頭痛でバイト休んだけれど永遠に頭の中でぐるぐるしている、生まれてから本気で活動できなくなるほどの体調不良になったことがなくて、だからこそ、じぶんが休養を取るべきなのかがんばるべきなのかわからない、わからなくて、じぶんの取った判断が正しかったのか永遠に悩んでしまう 1日たった今でもぐるぐるしている 体調悪くてどうするかなんてふつうじぶんで判断することなのだと思うけれど他人がどう思うかという思考が入ってくる時点でそんなに辛くないのかもしれないと思いながらもでも休んだほうが絶対にいいという思いもあって、わからない わからない

 

このブログにはしはしなんて名前つけたら怒られそうだね