『富士日記』上巻

ちょっと前から『富士日記』を着々と読み進めている。武田百合子武田泰淳に言われてしぶしぶ書くことを始めたようなことをどこかで読んだけれど、それにしてはいい文章で、どうしてこんなにみずみずしい文体なの〜って読むたびに思う。

五月八日(土)晴

(略)

私は三時ごろよりひるね。夜ごはんも知らないで、次の朝まで眠り続ける。主人、死んでしまったのかと思って、さわってみたという。

富士日記川上弘美選の『精選女性随筆集』(富士日記読み終えた後にこれ読み返したら川上弘美がどう選んだのかとかわかって面白いかもしれないと思っている)に載っていたところはすでに読んでいたのだけど、この部分は何度読んでも好き。武田泰淳は何にも動じないようなひとに見えて、百合子さんのことになると小学生の男の子みたいな態度を取ったり突然本気で心配したりするので面白い。

初めて入る古本屋さんで『ことばの食卓』手にとって「枇杷」に目を通したときにこれは読まなきゃと思って買ったのだけど、富士日記読んでいる今読み返してみると文章の印象が違う。富士日記は読まれるつもりがなく書いた日記だから? 今となっては富士日記の印象が強いのでですます調で書かれた文章は少し不思議な感じがするけれど、泰淳のことばなんかは富士日記な感じと変わらないのでふたりのやりとりの心温まる感じは健在だね。

武田百合子を買った日に、それと知らず読んだ川上未映子のエッセイで『ことばの食卓』が紹介されていたときはさすがに運命なのかなと思った。ちなみに川上未映子のエッセイは全部手元にあるけれど、買うだけ買って読むタイミング逃し積読が増えていく一方…。誰の書いたものとか関係なくエッセイちまちま読んでしまうので読み終わるのに時間がかかる。多和田葉子『言葉と歩く日記』もバイトの行き道で読んでいるので春に読み始めたはずがまだ1/4くらい残っている。

富士日記、上巻読み終えたらすぐ中巻買う、順番に一冊ずつ買うと上巻買った時に決めた。たのしみ。手に持ったときの本の重みが幸せそのもの!

 

 

 

ナツヨノマジックのライブ映像何回観ても飽きない! 今日は夜風とハヤブサの部分を何度も観た。自分の声の音域を考えて曲作るという概念がなさそうですごいなあ、前からそうだったと言われればそんな気もするけれど最近はしっかり歌っちゃうのでもっとすごい。「涙にかまけて悲しみオンリー」のところで音を外していて、でもそのあとの「鋭くて」の歌い方が外さない歌い方だってわかったので安心して聴けるのだし、そういうのわかるようになった自分にもびっくりする。川谷絵音の歌うもの聴きすぎかな。「私はロンリー その通り」「今ロンリー 今ロンリー」と「鋭くて形がない」は大体同じ音域なのに全然違う声で歌うのでそういうの探すの楽しい。あと夜漁りでギター弾く川谷絵音、バンドマンという感じがしていい、謎に足あげたりするのでかわいい。ラッパーの涙は聴けば聴くほどいろんなこと見つかるのでいいね、今日は1サビは絵音くんの声の下でコーラス入るのに2サビは上なんだなあと気がついた(音源聴き直したら自信なくなった)。早くアルバムでないかなあ〜